ありがとう、台湾!

 
二宮一朗牧師《玉蘭莊だより》 2002年9-10月号  

1987年7月16日、戒厳令が解除された次の日、私を乗せた飛行機は台湾についた。飛行機の窓から見た桃園国際空港は、雨雲がどんよりと空を覆ってい た.。神に祈って来たとはいえ、愛する婚約者を日本に残し、言語の習得という難問を抱えて一人先にやってきた私にとって、心の中の不安とプレッシャーは隠 せず、その日の天候が妙に自分の気持ちとぴったりであったことを印象深く憶えている。まさか、その後の15年間が、主の恵みと台湾の人々の御愛に支えられ た、私の人生の黄金期になろうとは、そのとき誰が想像できたであろう。 空港には台湾基督教長老教会総会事務所より迎えの方が来ており、私を台北東門教会の「聖書と祈りの会」の集会に案内してくれた。集会後、日本人宣教師達と食事をし、私の語学研修地が台北と決まった。     
8月より国語日報での中国語の学びがスタートした。日曜日には和平教会と国際日語教会に行き始めた。こうして、私の台湾での生活がスタートした。 それからの台北での語学研修の一年、それは、私にとって、生活習慣の違いや言語の壁によるカルチャーショックの一年であった。物を一つ買うにもどこに行っ てどう話したら買えるのかわからず、まるで自分が子供に戻ったようだった。私は本来外交的で積極的であったので、想像もしなかったことであった。  
ところが、毎週日曜日の教会員の方々や先輩宣教師達との交わりは、わたしに大きな慰めと励ましになった。また、和平教会で英国からの宣教師が自由に言葉 を使っているのを見て、羨ましく思ったものである。自分もそうなりたい、と。 翌(1988)年の4月に家内(友子)と結婚し、夏に新竹に引越し、聖書学院(新竹聖經學院)での6年間の仕事が始まった。主に教師として教えながら、原住民学生と共によく原住民の村に行った。私の心は、原住民と一つになっていった。台湾への理解が始まった。また、台湾基督教長老教会の宣教師として、色々な会議に出席するようになった。魂の救いのみならず、台湾人への全人的関心を持って癒しを提供する、台湾基督教長老教会の宣教姿勢を見させられた。台湾とその民のために命をかけて宣教する、その姿勢を見、福音派(日本耶穌基督教團)出身の私の宣教観が大きく変えられた。これは、台湾で教えられた一番大きなことであり、私のその後の宣教奉仕に大きな影響を与えることとなった。  
一方、学校の中では、うちの家ほど学生が集まる教師宅はなかった。学生たちがうちに来ては、家内や子供達と交わり、色々と面倒を見てくれた。 1994年夏8月、台北東門教会での宣教師として仕事が始まった。都市に来ている原住民への開拓宣教であった。各地を巡りアピールをし、翌年から礼拝が始 まり、今日に至っている。流動性の極めて高い原住民たちを中心に、多くの人々が集会に出入りし、少なくない人々が信仰を持ち救いに与り、また、原住民としてアイデンティティーを確立していった。   
設立当時の洪振輝牧師、現在の盧俊義牧師をはじめ教会員の方々から、お祈り、ご指導、ご献金を賜ったこと、感謝に絶えない。その働きは、いまや協会の働 きの一環として重要視されている、月に一度ではあるが、玉蘭荘にも礼拝の説教に来る機会が与えられ、玉蘭荘の明るい皆様と楽しいお交わりをいただいてき た。主のある希望をもっている方々の素晴らしさを教えられた。 台湾での15年間の宣教協力を終え、帰国しようとしているこの時、これまでを振り返り、大きな恵みを下さった主と、御愛の数々を下さった台湾の方々に、心の底から申し上げたい。    
「ありがとう、わが主!ありがとう、皆様!ありがとう、台湾!・」 (2002年7月)  

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