「聖書と祈りの会」との出会いと思い出

 

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菅根洋子(菅根信彦牧師夫人)談 《聖書と祈りの会40周年記念誌》 台北 2018年12月 p.15-18  

1982年の夏に、大学生であった私と妹の純子は私たち両親の友人であった、台北の陳 豊美さんのお宅に遊びにいきました。その時、初めて陳さんに連れられて、東門教会で開かれていた日本語による「聖書と祈りの会」に出席しました。そこで、鄭連徳先生の明るい声に迎えられて、礼拝を守り、その後三浦綾子原作の「塩狩峠」の映画を見て大変感動しました。その後、日本に帰り、姉の真理子とも相談して、私たちも京都で教会へ行ってみようと思いました。鄭先生から紹介された日本基督教団京都教会に出席いたしました。そこで、同志社大学神学部教授の竹中正夫先生に出会い豊かな交わりを与えられました。1983年4月のイースターに京都教会の原忠和牧師の司式で、三姉妹揃って洗礼を授けてもらいました。姉と妹は今でも京都教会でお世話になっています。妹の純子の長女美紅も大学生になる前に洗礼を受けました。  
私は、当時同志社大学神学部の学生であった菅根信彦と、京都教会の青年会で出会い、1986年3月22日に菅根の大学院修士課程卒業と同時に結婚しました。その折には、鄭先生の奥様が結婚式用のブーケを作ってくださったことは大切な思い出の一つです。菅根の最初の赴任地は日本基督教団神戸教会でした。そこで5年間、伝道師・副牧師として務めました。その後、アメリカのサンフランシスコ神学校(SFTS)に留学し、同時にアメリカ合同教会・シカモア組合教会の日語部の牧師として赴任しました。アメリカ留学前に生まれた長女香織と共に3年ほどベイ・エリアで過ごしました。帰国後は、日本基督教団鎌倉恩寵教会の主任牧師として8年間務めました。その間、鄭先生ご夫妻がお訪ねくださり、第二子の長男雅史の幼児祝福をしてくださいました。また、鎌倉恩寵教会へ赴任が決まった時、陳豊美さんにお電話で報告すると、以前「聖書と祈りの会」のメンバーが当時の堀田久子先生と一緒に神奈川にある幾つかの教会を訪問した時、お世話になったのが鎌倉恩寵教会だったことを伺いました。鎌倉恩寵教会の方々が手作りのケーキを用意してくださるなど、とても暖かい教会であったことを話してくださいました。不思議なご縁を感じました。事実、鎌倉恩寵教会では本当に暖かく迎え入れられ、三番目の謙治も生まれ、大変楽しい子育ての時を過ごさせていただきました。  
2002年に、日本基督教団神戸教会に今度は主任牧師として招聘を受け、神戸には11年ぶりに戻ることになりました。そして、現在に至っています。神戸教会では、隣接する教会付属いずみ幼稚園の卒園児の保護者として東門教会の会員である周雅麗さんと出会いました。周雅麗さんは毎週の主日礼拝に出席され、時間があると台湾語を教えてくださったり、鄭先生の作った讃美歌を一緒に歌ったりして、楽しい交わりを与えられています。  
東門教会で始められた「聖書と祈りの会」へ連れて行ってくれた故豊美さんの祈り、鄭先生ご夫妻の祈り、堀田久子先生の祈りなど、多くの方々の祈りに導かれ、支えられ、教会での人生を与えられたことを心から感謝しています。  
 
 

 

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