恩師左近孝枝を偲ぶ

 

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賴劉慶理  左近孝枝記念集 主はわが牧者なり1979年p.211-212

作者は青山学院女子専門部1942年9月卒業生。


 

集会をやめることはしないで、互いに励まし   

                                  ヘブル人への手紙10章35節

 

私が青山学院女子専門部家政科に入学したのは昭和15(1940)4月ですが、その時新婚間もない左近孝枝先生が赴任なされ、私たちの聖書の先生として講壇に立たれました。ルカ伝を主としてのご講義でしたが、それがイエス様のお教えにピツタリ、簡潔で、真理をつき、しかも愛に満ちたもの、今でも意義深く思いおこしております。一週間に一度は、女子部講堂の一室で、先生を中心に有志が集まり、聖書研究を共にしたあと、皆手をつなぎ、輪になって、

先生がお祈りして下さったものでした。

第二次大戦勃発のため、私たちの在学期限が短縮され、昭和17(1942)9月には卒業となりました。卒業式のすぐあと、先生は私に近寄られておつしやるには、劉さん私の旧姓、間もなく台湾にお帰りですね。聖書に集会をやめることはしないで、互いに励ましとありますね。炭火はいくら赤くても一つだけではやがて消えてしまいます。多くの炭火が集まって力が加わり長つずきするものです。信仰も同じですよ。いつも集会をつずけ教会から離れないようになさいね。それから36年近い歳月が流れ去りました。私はいとも小さきものですが、教会にはずっと出入りし、諸兄姉のあとについて、主を讃美し、交わり、祈り、主を追求し、主の愛を豊富に体験できましたのもこれから先もみことばがささえでございました。

昭和47年(1972)、私は主人賴永祥について米国に渡ることになり、1月24日旧友のご好意で、東京渋谷の東急文化会館ゴ一ルデンホ一ルで集まりを持ちました時、先生は馬越宮先生とわざわざご出席下さり、詩篇126篇を題材にはげましをいただきました。また記念帳に『神共にいましてゆく道を守り』と書いて下さいました。神と共にいましてゆく生活が先生のお心がけなさった生活であり、そうであった御一生だと思います。

米国マサチユセツツ州ア一リントンにて。