DAVID・LUさんの「自由の帝国アメリカの軌跡」


信濃太郎 「「銀座一丁目新聞」(blog)2008.07.20 安全地帯(221)


友人の広瀬秀雄君からアメリカに住む知人ドクター、DAVID・LUさんが今年(2008の11月日経出版より日本語で「自由の帝国アメリカの軌跡」という本を出版されると聞いた。広瀬君を交えた友人5人による月一度の「読書会」でLUさんの話が良く出る。LUさんは昭和3年(1928台湾生まれで、旧制台北高校の尋常科を経て文科在学中終戦となった。その尋常科の同級生の集まりである「真洞会」が2004年の夏カナダのロッキーズで会合を開いた。同級生の大半は日本籍だが、台湾籍もおればカナダ籍もおり、昭和25年(19509月渡米したLUさんはアメリカ籍である。その席上「アメリカと言う國は、知っているようで、案外知らない。掴めない國だ」という話が出た。それが本を出す動機となった。

LUさんは34年間ペンシルバニア州の中央部にあるバックネル大学(Backnell University)で教鞭を執った。この大学で日本の歴史や企業の講座を持ち日本語の教育課程を開設し、日本の紹介に励んだ。LUさんは昭和51年(1976と昭和55年(1980に下院議員の選挙に出て二度とも落選する。貴重な経験をする。「選挙民は聡明だ」という印象を今でも抱いているという。これは日本の有権者も同じであろう。浮動票が日本の行き先に微妙なさじ加減をしてみせる。アメリカでは義務教育しか受けていない人達でも自分の利益をよくわきまえていて、それを主張し、彼らが政府に望むことをはっきりと教える。選挙区には田舎町や農村が多く、東洋人に一度もあったことのない人達もかなりいた。そのような素朴な人達でも話が合うと投票を約束するだけでなく、選挙の手助けもしてくれた。人種偏見もない、抱擁性に満ちた、アメリカの国民性をそのとき体験した。自分の体験を生かして、州知事の再選を援助したり議会で証言したりなどすると、自然に歴史や政治を見る目も変わったという。

広瀬君宛にきたLUさんのメールには面白いことが書かれてあった(6月27日)。LUさんは昭和45年(1970夏、学生達と一緒に佐藤栄作首相を訪問した時、閣議室に招かれ、福田赳夫外相の椅子を指さして、「あれは特別のいい椅子だからそこにお座りなさい」といわれ、佐藤首相は禅定を考えているなと直感した事があった。福田内閣が実現した翌年(昭和52年, 1977年)の夏、それを週刊「世界と日本」(内外ニュース社)に書き、予言者はなかなか故郷には受け入れられないのだと付け加えた。それがある朝日新聞の政治部記者に「あんな訳の分からないことを書くアメリカの学者がいるから困る」と酷評されたことを覚えている。しかし福田さんに「いいことを書いてくれましたね」と言われたのは嬉しかったし、時がたつと私の意見の方が正しくて朝日のは間違いだったことに気がついたというのである。

よくあることだ。朝日に限らず新聞はよく間違える。勘の良い記者と悪い記者がいる。同じ話を聞いて「これは記事になる」と想う記者もおれば何も感じない記者もいる。LUさんは新聞記者になっていても一流の記者になっていたであろう。

6月の「読書会」で広瀬君に私が渡した本は古川薫著「斜陽煮立つ」毎日新聞刊)であった。