書評 日本史家の複眼が冴える米国通史


牛村圭 (國際日本文化センター教授)評 『正論』 2009年5月号

デイビッド。ルー(David John Lu, 1928- )著『アメリカ自由と変革の軌跡 建国からオバマ大統領誕生まで』(日本経済新聞出版社・2009年1月,2,800円)


世界規模の経済危機の中で「変革」を訴えて誕生したオバマ新政権の人気に乗じた書が目につくが、本書はそういう時流に乗った乱造本ではない。台湾生まれで日本語教育を受けて育ち、米国へ留学して博士号を得、のちに米国の大学で教鞭をとり、米国籍を取得した研究者による良心的な一書である。著者デイビッド・ルー教授は日本研究を専門とする。日本の読者に向けて日本語で書き上げたこの米国通史は、著者の余技と言えよう。しかし、植民地時代から今日までのアメリカを、全19章に分け時系列に沿い穏やかで抑制のきいた文体で書き綴った五百頁近い重厚なこの書は、地味ながら信頼できる米国通史に仕上がっている。かつて西洋史学の原勝郎が『日本中世史』という名著を書いた如く、日本史家によるこの米国史もまた完成度が高い。一芸に秀でれば他芸も、というところなのだろう。

わが国の米国概説史は、単調な史実紹介を主眼にするものが少なくない。忌憚なく言って、情報は得られるが読んでつまらない。一方、多くの史実や豊富な情報を手際よく捌いて進む本書の書きぶりは、小気味良い。読み進むうちにその叙述に引き込まれていく。だが本書を魅力あるものにしているのは、抑制のきいた文体や資料の扱いの巧みさだけではない。それは、幼時から台湾と日本を知り、米国で教える日本史家の持つ複眼の眼差しが随所に見られるからであろう。もちろん、年表を掲げ常に日米両国を比較しながら書き込むといった、芸のないことを試みてはいない。十九世紀の半ばの黒船襲来までは、無理に日本を叙述に出すことはしていない。太平洋の彼方の遠い隣国アメリカは、事実遠い存在だったためである。

しかし、二十世紀への変わり目から、著者の日本への言及は頻度を増す。日本を知らずしてもはや米国史は把握できない、という主張であろう。日本語で書かれた米国通史は、必要な時だけ日本が登場するのが主流だったが、日本史家のルー教授の手にかかると、米国の二十世紀は日米関係史の様相を帯びて描かれる。日米が矛を交える結果となった二十世紀前半の軌跡も、多くの肥料を自家薬籠中のものとした上で、静かに、しかし説得力を持って書かれる。個々の例は読んでのお楽しみにして、評者は言及を控えることとしたい。米国史の専門家でないからこそ「小にとらわれて大を見過ごすことはない」という著者の自負が見事に結実している。

9・11以降、アメリカについて発言すると、日本では「親米か反米か」といった二項対立的な視覚で評されることが多い。そういう浅薄な議論をする論者にはもちろん、米国新政権の「変革」の語のみに振り回されている人たちにも、本書は読まれて然るべきであろう。だが、受験シーズンが終わったいま、大学教師としての私は、世界史を受験科目とした大学新入生に本書を強く勧めたい。知識として身につけたアメリカが、まさに紙面で躍動するといった印象を持つこと間違いない。