『アメリカ 自由と変革の軌跡 建国からオバマ大統領誕生まで』はじめに


デイビッド・ルー (David John Lu, 1928- )『アメリカ 自由と変革の軌跡 建国からオバマ大統領誕生まで』

日本経済新聞出版社  2009年1月 i-iii頁


コロンブスがアメリカに到着した1492年は、日本では戦国大名が台頭したころだった。戦乱は1568年、信長の入洛まで続く。鉄砲は1543年、種子島に漂流したポルトガル船によって日本に伝えられた。ザビエルが鹿児島で布教を始めたのが、1549年のことだった。このように一六世紀の世界では、日本もアメリカも同じくスペインやポルトガルの大航海事業の対象となっていたが、アメリカの存在を 知っている日本人はいなかった。

一七世紀に入って、イギリスの本格的な殖民活動が始まる。そのころ、日本では徳川幕府が確立されて、天下泰平、絢爛な都市文化が栄えていた。それは原野を見つめて「山の上に輝く街」を築こうとする清教徒とはまったく違った生活様式であり、異次元のものだった。新大陸ではヨーロッパからの移民を絶えず求めていて、それが生存につながっていた。一方、日本ではキリスタン禁制が鎖国の直接の原因となり、外国との交渉はほぼ完全に閉ざされてしまった。その時点で、日本とアメリカは全くの異質文化だった。もし、マルコ・ポーロのような旅行者がいて、この二つの国を訪ねたとしたら、違った点だけが強調され、この二つの国が二一世紀の世界において世界第一、第二の経済力を誇り、文化、科学の分野でも世界の最先端になっていることは予測できなかったに違いない。

日本の近代化をうながしたのはペリー提督の黒船だった。ジョン万次郎以外に誰もその土地を踏んだことのない国からの使節が脅迫的に開国を迫った。無礼千万な行為だったが、結果としてはよかった。その時から敵としても味方としても、太平洋の隣のアメリカは日本の動きに強い影響を及ぼすようになった。そして今、その日本はアメリカにとって欠かすことのできないよきパートナーになっている、日本があってこそ。異文化の世界にデモクラシーを定着させようとするアメリカの努力が実を結ぶのだ。

予期できないことが起こるのが歴史の常だが、アメリカの歴史にはよその国では考えられないようなことがよく起こる。オバマが第44代の大統領に当選したのもその一つだ。一年前にはバラク・フセイン・オバマという名前をもつケニア人の息子(母親は白人アメリカ人)が予備選で勝ち、大統領選でも勝利するとは誰一人予想していなかった。1960〇年にジョン・F.・ケネデイは大統領選に勝って。カトリック教徒は大統領になれないとい壁を打ち壊した。アフリカ系に対する同様の障壁はオバマによって2008年に崩された。かつて奴隷だった黒人がとうとう大統領に上がりつめたのである。

この二人はビル・クリントン(夫人のヒラリー上院議員は当初、オバマ以上に有力な民主党の大統領候補だった)を加えると、第二次大戦後の最年少を争う大統領の名前が並ぶ。いずれも就任時40代の民主党大統領という点で共通する。世代交代を意識しながら、三人とも若い人たちに希望を持たせる政策をとる。しかし、若さと未経験が祟って、ケネデイとクリントンには犯した間違いも少なくなかった。

オバマは未曾有の金融危機という難題を抱えている。もし彼が公的資金の注入とか、公共事業の拡張などに専念し、政府の力だけに頼る政策をとれば、ハーバード・フーバーやフランクリン・ローズベルトが経験した恐慌対策失敗の轍を踏むだろう。恐慌からの脱出はローズベルトの対策よりも、第二次大戦の勃発によるところが多かった。それは何を意味するのか、よく考えておかなければならない。選挙戦の最中、オバマは保護主義的な発言をよくした。経済危機に対処するために国防費を大幅にカットする提案も民主党内から出された。同盟国としての日本の重要性を認める発言もなかった。

それだけを取り上げてもオバマ政権の前途に対する危惧を覆い隠すことはできない。もっとも、ケネデイもクリントンも為政者になると中道路線を歩んだ。オバマもそうであってほしい。政府の介入はあっても、自由市場経済の原則はまげないように努力し、国防を充実させ、日本などの同盟国に対する責務を忠実に果たしてもらいたい。それには日本側からのインプットも必要だ。建国からオバマ大統領の誕生まで、日本人のためのアメリカ史を意図したこの本が、その一助になれば幸いである。

この本は日本の「隣の国」の国造りの物語だ。その国造りはこの本を読まれている現時点でも続けられている。