香港で出会った人々の中で、忘れられない一人は日本キリスト教海外医療協力会のワーカーとしてネパールで奉仕された伊藤邦幸医師である。きょうは同師の言葉をご紹介したい。
師は二浪して東大医学部に入学し、憧れの駒場寮に入った。入寮に当たり、寮生は必ずどこかの部に所属することになっていた。第一から第五まで志望する部を書き込むことになっていたので、第一志望―西洋古典研究会、第二志望―聖書研究会、第三志望―フランス会、第四志望―歴史研究会、第五志望はもう特にな
かったので、一応山岳部と書いておいた。さて、入寮許可がおりて指定された部屋に行ってみると、煤だらけの薄暗い部屋だった。一瞬、間違った部屋に来たかと思って辺りを見回していると、闇の中から熊のような男が現れた。
「伊藤さんですか。お待ちしてましたよ。私が山岳部のリーダーの佐藤です」と、挨拶された。
山岳部? そんなことを書いたのをとうに忘れていたのである。寮長室に駆け込んで問いただすと、
「西洋古典研究会? そんなものはもう潰れました。フランス会もありません。・・・」
すごすごと引き返す他はなかった。その時、彼の心に鮮明に浮かんでくる思いがあった。
「これほどまでに、鮮やかに我が意に反して運ばれた事態に対しては、必ずや摂理のみ手が働いていたことを認める日が、いつか必ず来るに違いあるまい」と。
師は後に、大学で学んだすべては、山岳部から受けたものに比ぶべくもなかったと述懐された。山岳部で何を得たのか。師の言われるには、①頑健な肉体、②床について3分以内に熟睡する習慣、③物質的な窮乏生活に喜んで耐えられる自信、④言い訳を卑しむ気概、⑤瞬間に判断を下して、部下を動かすための用意と気力、⑥組織の決定に唯々諾々として従う習慣。
これらのすべてが、後にネパールで大いに活かされたのである。山男で哲学者のような雰囲気の師と私たち夫婦と3人で食事を共にしたことが忘れられないが、師もすでに天上の人になった。
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