無教会とは

 

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吉村孝雄《いのちの水》566号2008年4月 p.13-16 より 無教会という言葉を最初に使われたのは、内村鑑三(1861-1930)です。


 私たちの徳島聖書キリスト集会は無教会のキリスト教集会です。無教会というのは何か、教会が無いwと書きますが、これは、無教会という流れのもとになった内村鑑三が若き日に書いた本に使った言葉に始まります。この言葉が使われた最初の状況は、特定の教 派をつくるとか、一般のキリスト教会に対して特別な主張を持っているというのではありませんでした。

1893年、内村鑑三が三二歳の若きときに「キリスト信徒のなぐさめ」という本を出しました。その本で、内村は自分のキリスト教信仰上の考えが神学者や接 した教会の指導者たちに受けいれられず、教会から捨てられた状況になったことを記しています。そのような時、内村を最も支えたのは、聖書そのものであった と、次ぎのように述べています。

「…多くのひとたちにけなされ、責められるとき、自分の尊厳と独立を維持することに、比類のない力を持っているのは聖書である。

聖書は孤独な者の盾、弱き者の城壁、誤解された人間の休みの場である。…」

(「キリスト信徒のなぐさめ」第3章より。内村鑑三全集 岩波書店刊 第2巻27頁 原文は文語。)

こうして聖書の真理に深く学び、励まされていきました。彼は、さらにこう述べます。「私は無教会となった。私は人の手によって造られた教会は私にはない。私を慰める讃美の声はない。私のために祝福を祈る牧師もない。しかし、私は神を礼拝し、神に近づくための礼拝堂を持っていないであろうか。

山に登り、広大な野を眼下に望み、この世の上に高くに立ち、一人無限なるものと交わるとき、あるいは、風が背後の松の木によって讃美を奏で、頭上高く飛ぶ 鳥はつばさを伸ばして天上の祝福を注ぐ。夕日はまさに沈もうとし、東の山は紫となり、西の山は紅となり、水の流れの上に映じている。そうした自然のただなかで、一人川のほとりを歩みつつ、聖者た ちと霊的な交わりを結ぶとき、私はまさに、声なき説教を聴く気持になる。 …

とはいえ、私もまた人との交わりを求める者であり、ときには、人の建てた礼拝堂に集い、しずかに会堂のかたすみにて参加者とともに歌い、ともに祈ろうと思 う。

また、私は教会から退けられているゆえに、教会の講壇から福音を語ることはできないから、さびしく孤独に悩み憂いに沈んでいるひとたち、あるいは貧しさに 苦しむひとたち、あるいは罪を知って一人神の赦しを得ようとしている人たちのところを訪れ、主イエスの貧しさと孤独と恵みを語ろうと思う。

ああ、神よ、私は教会を去っても、あなたから去ることはできない。教会に捨てられた不幸は不幸であるけれども、あなたに捨てられなければそれで十分なのだ。…」(同書36∼37頁)

このように、無教会という言葉が最初に使われた状況は、内村鑑三がみずからが、真理と信じることを固く守ろうとする歩みのなかで、彼が出会った教会の指導者たちから退けられ、所属する教会を持たなくなった。教会の無い者となった、ということであったのが分かります。

そのような内村鑑三のもとに、聖書の真理を求め、学びたいという強い希望をもった青年が集まるようになり、おのずから一つのキリスト教の流れが生まれたのです。その流れの中心的主張は、「救われるためにはキリストを信じるだけでよい」ということ、さらに、あとになってできた伝承や組織などの権威や伝統によ らず、「聖書中心」ということが基本にあります。

言い換えれば、聖書とキリスト中心ということです。

そして聖書のなかでも、とくに新約聖書の使徒パウロの代表的な手紙であるローマの信徒への手紙やガラテヤの信徒に宛てた手紙に繰り返し強調されている真理 を基本としています。

それは、「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義である。」(ローマ信徒への手紙3・22)という聖書の言葉にはっきりと表され ています。

キリストを信じるだけで救われる、つまり本当の幸いを得ることができるというとき、聖書はさまざまの意味を含んでいます。

まず、福音書において、救いを受けたひとは何によって救われたのか見てみましょう。

… 人々が中風の人を床に寝かせたままで、イエスのところに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦さ れた」と言われた。(マタイ福音書9・2)

罪の赦しとは救いです。それは、意外なことに本人の信仰でなく、病人を運んできた人たちの主イエスへの絶対の信頼、信仰であったのです。ここには周囲の人の信仰もときには救いをもたらす重要なものとなるのを示しています。

次に救いを受けるためには、ただ信じるだけでよい、ということを示す箇所です。

…十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。

我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ福音書23・39∼43)

十字架にかけられた三人の人たち、それは三種の人間を象徴的に表すものです。一つは最後まで悔い改めようとしない人間です。この世にある信実なもの、美しいものに心を開こうとしないで、かえってよきものを踏みつけようとする人間です。

そして次は以前はそのようであったが、息を引き取るまえに主イエスに立ち返る人、悔い改めをする人です。

さらに最後に人間が究極的に高められたらどのような人間になりうるか、を示すイエスです。

この二人の犯罪人のうち救いを受けた人は、みずからこんな極刑を受けるのに当然の報いであると認めています。それほどに人殺しのような重い罪を犯した人間であったと推定できます。しかしそれにもかかわらずこの重罪人はただ信じるだけで、主イエスから「今日、私といっしょに楽園にいる」という明確な救いの保証を与えられたのです。彼は、水の洗礼もなく、なんらかのキリスト者の集まりにも加わることなく、文字通りただ信じるだけで主イエスから救いの保証を与えられたのです。

また、十二年もの間、出血のある病気をわずらってお金も使い果たして生きる望みを失っていた女がイエスだけは救って下さると信じ、必死の思いでイエスの服に触れた。(マタイ9・18∼22) ただそれだけで長い苦しみから解放されることになりました。主イエスは彼女に対して「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。このようにイエスへ の深い信頼を持つことができるということがすなわち救われている証拠なのです。特別に汚れているとされた病気であったからこの女はどれほどこの一二年間を 苦しみ孤独に悲しんだことでしょうか。その長い間の苦悩も主イエスへの信仰(信頼)だけで、道が開かれ救いを与えられたのでした。

この「信仰による救い」ということは、すでに旧約聖書のはじめの方に、次のような記述があります。

… 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」

アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15・5∼6)

この短い記述は、神の言葉への明確な信頼があれば、ただそれだけで、神から義とされる、ということです。人間はさまざまの間違った言動があります。「義である」、つまり正しいなどと到底言えない状態ですが、それにもかかわらず、何もよいことができなくとも、神の恵みに満ちた約束を信じるだけで、正しい人間 とされるというのです。

神への全面的な信頼こそが、人間の正しさを決定するほどに重要なことだと言われているのです。

「義とされる」といった表現は現代の私たちには分かりにくい言葉です。そのような表現は日常生活ではほとんどの人が用いないからです。しかし、これはきわめて重要な内容を持っていたのです。その当時はこの言葉の重要性は深くは分からなかったと言えます。というのは、この言葉は以後の旧約 聖書の内容には現れないからです。いわば地下水が大地の奥深いところを通って後に泉となって現れるように、この言葉に含まれる重要な真理はアブラハムから 千七百年ほども経ったイエスの時代になってはじめていわば再発見されたように、キリスト教の福音の前面に現れ、それが泉のようにあふれ始め、全世界へと流れていったのです。

そしてそのために強力な武器となったのが、使徒パウロの手紙でした。すでに述べたように、彼のローマの信徒への手紙やガラテヤ信徒への手紙などはその「信仰によって救われる」ということを中心において繰り返しそのことを強調しています。

私自身、パウロの手紙の核心部分を引用して説明している文を少し読んで、そのことを信じたのですが、ただそれだけでキリスト者とされたのです。まさに、ただ信仰によって救われたのです。

無教会というのは、私が初めてキリスト教に触れたときに読んだ本で知ったのですが、神は私を無教会という集まりのなかに招いて下さったのだと分かります。私のキリスト者としての決定的な経験は、救われるためには、ただ信じるだけでよい、という単純明解な真理によるものでした。そしてこの単純なだれでもに開かれている扉を開いて、すこしでも周囲の人たちに救いへと導かれていきますようにというのが以後の願いになりました。

 

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